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義経は平泉で死んだ? 義経はここにいる 井沢元彦著 を読む [岩手 平泉]

2012年です。 明けましておめでとうございます。

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今年もよろしくお願いします。

義経はここにいる (徳間文庫)義経はここにいる (講談社文庫)
さて、2012年の最初の紹介は、井沢元彦氏の
「義経はここにいる」です。
井沢氏の小説は昔からよく読んでいましたが、この本は歴史ミステリー小説からのちの「逆説の日本史」のような歴史本に移行する過渡期の作品と言えます。
内容は、義経に関係した殺人事件とそれと並行して中尊寺金色堂の秘密を解明するというストーリーです。殺人事件に関してはネタばれになるので書きませんが、金色堂に関しては昨年、平泉が世界遺産に認定されたこともありますし、以前NHKのTVでも井沢氏が話していたので書いちゃいます。

私は中尊寺の金色堂に関してはいろいろと本を読みましたが、井沢氏の説が一番説得力があると思っています。
義経は、平家を滅ぼした後、兄の頼朝から追われて奥州の藤原秀衡を頼って平泉に戻ります。秀衡は、義経を擁して頼朝に対抗しようとしますが、秀衡の死後に後継者となった泰衡は頼朝の命に従って義経を攻め殺し、その首を頼朝に差し出しました。
しかし、それにもかかわらず頼朝は10万の兵を率いて平泉を攻め滅ぼし、恭順した泰衡も殺されてしまいます。ここに源頼義、義家以来の源氏の悲願であった奥州制覇を頼朝によって成し遂げることができました。

みなさんもご存じのように、井沢史観の根幹には「怨霊に対する鎮魂」という考えがあります。これは無実の罪で殺されたものは怨霊となって祟るため、その鎮魂が必要であるとの考えです。例えば京の藤原氏は菅原道真を死においやったことに対する祟りを恐れて、道真を太政大臣の位に追贈し、天満宮を建てて神として祀ることまで行いました。
tyusonji2.JPGこの考えからいうと、上に書いた源義経、藤原泰衡ともに頼朝に無実の罪で殺された(と本人は考えている)わけですから、頼朝としてはその祟りを防ぐために鎮魂が必要ですが、平泉にはそのような鎮魂の形跡が見られません。

平家によって伊豆に流された流刑人から征夷大将軍まで登りつめたれ頼朝は、「秀吉以上の幸運」に恵まれていたと考えられます。頼朝はそれは父である源義朝の怨霊の力であると考えていただろうと井沢氏は推測します。それほど怨霊を信じている頼朝が義経、泰衡の鎮魂を行わないはずはないというのが基本的な考えです。

特に義経は、平家滅亡の立役者であり、その働きにもかかわらず頼朝に攻め殺されたのですから、かなりのパワーで祟りそうですが、平泉には義経の鎮魂の施設が見当たらないため義経は平泉では死なずに蝦夷(北海道)に逃げのびた、あるいはさらに大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという「義経北行説」という説が出てきます。

さて、中尊寺金色堂に対する一般的な捉え方を書いてみましょう。
①奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントである。
②金色堂には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のミイラと四代泰衡の首が納められている。
③金色堂を風雪から守るために「覆堂(さやどう)」で覆われている。
④中尊寺には、「一字金輪仏」という日本でここにしかない秘仏があり、三代秀衡の護持仏といわれている。

<秘仏 一字金輪仏>
ichijikinrin1.JPGこの4点に関して井沢説を元に考えてみると、、
①金色堂は奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントではない。金色堂には藤原三代の遺体しか納められないため、あたかも藤原氏が三代で滅びることを暗示しているようで「不吉」である
確かにその通りです。これは②とも関連しますが、当時栄華を誇った清衡、基衡、秀衡達がなぜ狭い金色堂に一緒に納められているのでしょうか?どうして一人一人の霊廟を建てなかったのでしょうか? 後に奥州王となった初代伊達政宗、二代忠宗、三代綱宗たちは、霊廟としてそれぞれ、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を別々に建てています。これは権力者としては当然の発想だと思います。
http://www.zuihoden.com/gaiyo/index.html
しかも鎌倉幕府にとっては罪人である泰衡の首が金色堂にあるのも大きな謎です。
③せっかく堂の外側まで金箔を張った黄金の金色堂をどうして覆堂で覆ってしまうのか?
外から見えなければ黄金で飾る必要がないように思えます。金色堂と同様に有名な京都の金閣寺を覆堂で覆うという発想はあるでしょうか? そう考えると覆堂には別の意味がありそうです。さらに覆堂の「覆」を「さや」と読ませていることも重要です。
④一字金輪仏は、秀衡の護持仏と言われているが、なぜ一字金輪仏を選んだのか不思議である。
天台宗では金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格となるそうです。そのように格の高い仏なので、仏画として書かれることは多いけれど仏像になっているのは中尊寺だけのようです。

井沢説の結論を書きます。
金色堂は奥州藤原氏の栄華のモニュメントであったが、頼朝が藤原氏を滅ぼしたことにより、頼朝によって藤原氏の鎮魂のための御堂となった。特に泰衡の鎮魂が重要であるため、泰衡の首も一緒に納めた。
覆堂は、金色堂を風雪から守るためのものではなく、頼朝に対する藤原氏の怨霊が入っている金色堂を封じ込めるためのものである。刀は抜き身のままにしておくとケガをして危険なので「サヤ」に入れておくのと同様に金色堂も藤原氏の怨霊で危険なため、覆堂を「サヤ堂」と呼び怨霊を封じ込めた。
●秘仏である一字金輪仏は像高が76cmと小さいにも関わらず9個の部材を上下に積み重ねた特殊な構造をしており、これは義経(九郎=遮那王)の鎮魂(墓標)のための仏像である。この一字金輪仏を安置していた金輪閣は大日金輪が太陽を象徴しているため、金色堂に隣接して西向きに建てられていた。金色堂は西方浄土を表しているため堂は東向きに建てられていたため、金輪閣の一字金輪仏と金色堂の本尊は向かい合う形で配置されていた。そのため、参拝者は、どちらかの仏像を拝むともう一方に仏像にお尻を向けることになるため非常におかしな配置である。
これは頼朝が藤原氏の怨霊を封じ込めるため金色堂を覆堂で封印し、なおかつ最高の力を持つと言われている一字金輪仏(義経の墓標)を相対させることで見張り役のような形とした

kaihi.JPG以上、結論だけを書くと何だか荒唐無稽に見えるかもしれませんが、この本を読むと十分に説得力を持っており納得させられます。金色堂に興味のある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。

秘仏である一字金輪仏は、秘仏ですので通常は公開されていません。何年ごとに開扉すると決まっていないようですが、私は2000年の開扉の時に見ることができました。小さくて背面がなく壁にかけるような形の仏様ですが、「これが日本最高のパワーを持つ仏さまか・・・」とありがたく拝んできました。
下の子が5歳の時だったのですが、間近で見てお寺のお坊さんに梵語で「ボロン」というんだよと教えられたにもかかわらず、まったく覚えていないとのこと。そんなものなのでしょうが、ちょっと寂しいですね。(笑)


この一字金輪仏ですが、震災復興を祈願して今年の7月から御開帳されるそうです。
このチャンスを逃すと、あと10年は見られないと思いますよ!


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コメント 6

mo_co

真樹日佐夫先生の訃報を苫米地先生のツィートで知り驚きました。
真っ先に頭に浮かんだSimpleさま。
ご冥福をお祈りします。
by mo_co (2012-01-03 09:51) 

Simple

tsworking さん

Nice! ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
インプレッサは大事な家族の一員なんですね。
その気持ち、分かります...。
by Simple (2012-01-03 10:19) 

Simple

mo_co さん

Nice! ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。

真樹先生の件、情報ありがとうございます。TVもWebもあまり見ていなかったので知りませんでした。
ショックです。梶原先生も50歳の若さで亡くなられましたが、真樹先生はまだまだお元気だと思っていました。人の何倍もの人生を生きてこられたと思いますが、71歳はまだまだ若いですよね。
まだ頭の整理がつきません。
by Simple (2012-01-03 10:23) 

TBM

先ほど、真樹日佐夫先生の訃報を知りました。
昨年も、格闘技の試合をプロデュースされており
元気だっただけに驚きました。
ご冥福をお祈りします。
by TBM (2012-01-03 20:00) 

Simple

マチャ さん

Nice! ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
平城京の大極殿、実物を見てみたいです。
by Simple (2012-01-04 02:03) 

Simple

TBM さん

Nice! ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
真樹先生の訃報、本当に驚きました。
先生を偲んで、先生の本に関して書きましたので見て下さい。
by Simple (2012-01-04 02:05) 

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