平泉、松島で紅葉を楽しむ(2015年) [岩手 平泉]
11月2週の週末に平泉、松島で紅葉を楽しんできました。
10月31日に圏央道の埼玉県側が開通したので早速試してみました。その結果、これまで自宅から東北道の岩槻 or 久喜 ICまではおおよそ1時間かかっていましたが、それが半分以下の25分で行けるようになりました。これは大助かりですね。そんなわけで、今回は朝7時ちょっと前に出ましたが、10時半前には仙台の泉ICまで行くことができました。
今回は、まずは腹ごしらえということで、仙台から約90Km先の前沢ICで降りて前沢牛のオガタでランチセットを頂きました。11時30分の開店前に着いたので、開店と同時に入って一番乗りでした。
脂の乗った前沢牛が美味しかったです。でもお肉は100gなので、ちょっと物足りないですが、「もう少し食べたい」という所で止めるのが良いのです。(笑)
前沢からすぐ近くの中尊寺へ。竹の緑が鮮やかでした。
中尊寺と言えば金色堂ですね。中は何度も見ているので今回も入らず。(^^)
池にうつった紅葉が最高でした。
金色堂の向かいの鳥居をくぐって、白山神社の能楽堂の奥にある「かんざん亭」でお茶をしました。私は白玉ぜんぜいを頂きました。歩いた後に甘いものを食べるのは最高ですね。この週末は、ダイエットは小休止です。(笑)
さて、境内の紅葉を楽しみましよう。
中尊寺の本堂です。ここで、妻が中尊寺の御朱印帳を買いました。中尊寺では12か所の御堂で御朱印をもらえるそうですが、そのうち6か所で御朱印をもらっていました。(1か所300円ですので、けっこうな額になりますね...)
池に落ちたカエデと映っている青空です。
今回は、毛越寺はパスして達谷窟(たっこくのいわや)の毘沙門堂に行きました。
中に入って参拝しなければ御朱印をもらえないそうで、妻だけ入って参拝してきました。
松島に着いて、円通院のライトアップの時間(17時30分)まで、メインストリートにある松華堂の2Fででお茶をして時間をつぶします。
ここのカフェはガラス張りで、五大堂が目の前に見えます。
このカフェはカステラの製造・販売を行っていますのでカステラを食しました。(ダイエット小休止中)
瑞巌寺の隣にある円通院の紅葉ライトアップです。開園の17時30分に行ったのですが、すでに園内は人でいっぱいでした。
暗闇にライトアップされた紅葉が見事です。
ここのモミジが一番見事な赤でした。
ギターの生演奏を行っており、その音色が園内に響き渡って良い雰囲気です。
真っ暗な中で池に映った紅葉が素晴らしいのですが、写真ではうまく伝わりませんね・・・。残念!
今回は、中尊寺、円通院ともにこれまでで一番見ごたえのある紅葉を楽しむことができました。川越から450Kmを走ってきた甲斐がありました。(^^) 圏央道が開通して、ますます仙台が近くなりましたね!
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10月31日に圏央道の埼玉県側が開通したので早速試してみました。その結果、これまで自宅から東北道の岩槻 or 久喜 ICまではおおよそ1時間かかっていましたが、それが半分以下の25分で行けるようになりました。これは大助かりですね。そんなわけで、今回は朝7時ちょっと前に出ましたが、10時半前には仙台の泉ICまで行くことができました。
今回は、まずは腹ごしらえということで、仙台から約90Km先の前沢ICで降りて前沢牛のオガタでランチセットを頂きました。11時30分の開店前に着いたので、開店と同時に入って一番乗りでした。
脂の乗った前沢牛が美味しかったです。でもお肉は100gなので、ちょっと物足りないですが、「もう少し食べたい」という所で止めるのが良いのです。(笑)
前沢からすぐ近くの中尊寺へ。竹の緑が鮮やかでした。
中尊寺と言えば金色堂ですね。中は何度も見ているので今回も入らず。(^^)
池にうつった紅葉が最高でした。
金色堂の向かいの鳥居をくぐって、白山神社の能楽堂の奥にある「かんざん亭」でお茶をしました。私は白玉ぜんぜいを頂きました。歩いた後に甘いものを食べるのは最高ですね。この週末は、ダイエットは小休止です。(笑)
さて、境内の紅葉を楽しみましよう。
中尊寺の本堂です。ここで、妻が中尊寺の御朱印帳を買いました。中尊寺では12か所の御堂で御朱印をもらえるそうですが、そのうち6か所で御朱印をもらっていました。(1か所300円ですので、けっこうな額になりますね...)
池に落ちたカエデと映っている青空です。
今回は、毛越寺はパスして達谷窟(たっこくのいわや)の毘沙門堂に行きました。
中に入って参拝しなければ御朱印をもらえないそうで、妻だけ入って参拝してきました。
松島に着いて、円通院のライトアップの時間(17時30分)まで、メインストリートにある松華堂の2Fででお茶をして時間をつぶします。
ここのカフェはガラス張りで、五大堂が目の前に見えます。
このカフェはカステラの製造・販売を行っていますのでカステラを食しました。(ダイエット小休止中)
瑞巌寺の隣にある円通院の紅葉ライトアップです。開園の17時30分に行ったのですが、すでに園内は人でいっぱいでした。
暗闇にライトアップされた紅葉が見事です。
ここのモミジが一番見事な赤でした。
ギターの生演奏を行っており、その音色が園内に響き渡って良い雰囲気です。
真っ暗な中で池に映った紅葉が素晴らしいのですが、写真ではうまく伝わりませんね・・・。残念!
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今年も東北の紅葉を楽しむ (2014年) [岩手 平泉]
11月10日に東北の紅葉を楽しんできました。
いつものように、一の関の厳美渓からです。
厳美渓といえば、空飛ぶ郭公団子ですね。今年もお店でいただきました。
お店からの眺めです。
達谷窟毘沙門堂入口の紅葉です。
ここからは平泉の毛越寺の紅葉です。
天気が良かったので、木々の緑と紅葉のコントラストがきれいでした。
毛越寺の庭園の「遣水」です。平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものだそうです。
ここからは中尊寺です。レンズをXF56mm F1.2R に変えました。これも池に映った景色が良かったです。全体的には盛りが過ぎており、もう少し早くくれば良かった感じですね。
平泉の紅葉はこちらもご覧下さい。
2012年:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-11-17
2013年:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-11-13
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ここからは平泉の毛越寺の紅葉です。
天気が良かったので、木々の緑と紅葉のコントラストがきれいでした。
毛越寺の庭園の「遣水」です。平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものだそうです。
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100万アクセスありがとうございます! 今年も東北の紅葉を楽しむ (2013年) [岩手 平泉]
このブログも、いつの間にか100万アクセスを越えていました。
これもみなさんのおかげです。本当にどうもありがとうございます。 m(_ _)m
さて、昨年と同じように今年も東北の紅葉を楽しんできました。
一の関の厳美渓です。
厳美渓といえば、空飛ぶ郭公団子ですね。今年はお店でいただきました。
お店からの眺めです。
これは厳美渓のつり橋です。
達谷窟毘沙門堂前の紅葉です。
これも達谷窟です。
ここからは平泉の毛越寺の紅葉です。
天気が良かったので、お寺と紅葉のコントラストがきれいでした。
池に映った紅葉がきれいでした。
これも池に映った景色が良かったです。
私が初めて食べた和牛は前沢牛でしたが、もうすっかりブランド牛になってしまいましたね。前沢のオガタのステーキです。(自分で焼いて食べます)
盛岡といえば新渡戸稲造の生誕の地です。
盛岡城の歴史文化館に山車が飾っていました。
盛岡と言えば高橋克彦の故郷です。作家生活30年のイベントをやっていました。
盛岡城跡の紅葉です。
きれいですね。
最後の方は、すっかり夕焼け空でした。
久しぶりに盛岡まで足をのばしました。とても紅葉がきれいでした。
関東地方の紅葉は、これからですね。
平泉の紅葉はこちらもご覧下さい。
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さて、昨年と同じように今年も東北の紅葉を楽しんできました。
一の関の厳美渓です。
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お店からの眺めです。
これは厳美渓のつり橋です。
達谷窟毘沙門堂前の紅葉です。
これも達谷窟です。
ここからは平泉の毛越寺の紅葉です。
天気が良かったので、お寺と紅葉のコントラストがきれいでした。
池に映った紅葉がきれいでした。
これも池に映った景色が良かったです。
私が初めて食べた和牛は前沢牛でしたが、もうすっかりブランド牛になってしまいましたね。前沢のオガタのステーキです。(自分で焼いて食べます)
盛岡といえば新渡戸稲造の生誕の地です。
盛岡城の歴史文化館に山車が飾っていました。
盛岡と言えば高橋克彦の故郷です。作家生活30年のイベントをやっていました。
盛岡城跡の紅葉です。
きれいですね。
最後の方は、すっかり夕焼け空でした。
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紅葉の平泉~仙台を歩く (2012年) [岩手 平泉]
紅葉を楽しむために世界遺産の平泉と仙台に行ってきました。
平泉で楽しんだコースは以下の通りです。
東北道 一関IC ⇒ 厳美渓 (郭公ダンゴ) ⇒ 達谷窟毘沙門堂 ⇒ 毛越寺 ⇒ 中尊寺
厳美渓です。磐井川の水流によって浸食された奇岩が見どころです。
カゴにお金を入れて合図をすると、川の向こう岸にある郭公だんごのお店から、だんごとお茶が運ばれてきます。
だんごは、あん・ごま・みたらしの3種類で、柔らかくてとても美味しかったです。
達谷窟毘沙門堂の二の鳥居です。赤と黄の紅葉が見事でした。
三の鳥居です。奥に毘沙門堂が見えます。
801年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍として蝦夷征伐を命じました。その時に蝦夷がこの地の窟に籠って戦ったそうです。その勝利の後、坂上田村麻呂が京の清水の舞台を模してこの毘沙門堂を建てました。
二の鳥居の所の紅葉です。赤と黄のコントラストが最高でした。
これは毛越寺の大泉ヶ池の周りの紅葉です。
これも毛越寺の紅葉です。
毛越寺の鐘楼です。
大泉ヶ池越しの紅葉がきれいでした。
中尊寺の秘仏「一字金輪仏」が12年ぶりに開扉されていました。今回の開扉は、東日本大震災の供養のためとのことです。私は2000年に一度見ているので、今回はパスしました。
金色堂前の紅葉も見事でした。
世界遺産になったので、金色堂は観光客で一杯でした。
これも金色堂そばの紅葉です。
松島にある瑞巌寺の隣にある円通寺で紅葉のライトアップをみてきました。池に写った紅葉は息を飲む素晴らしさでした。
今回は、仙台郊外にあるベストウエスタンホテルに泊まりました。隣にそびえる仙台大観音は一見の価値がありますよ。ベストウエスタンホテルは、ほとんどの部屋が37平米の広さがあるのでゆったりとできます。
仙台と言えば青葉城にある伊達政宗像です。逆光が良い雰囲気ですね。
青葉城から見える仙台大観音と隣に見えるベストウエスタンホテル(緑の屋根)です。
仙台と言えば「牛タン」ですが、やはり仙台牛も食べたい! ということで奮発してサーロインステーキを食べてきました。とってもジューシーで最高でした。また食べたいです...。(笑)
今回は、天気がいまいちで残念でしたが、素晴らしい紅葉と美味しいお寿司、牛タン、仙台牛とこれ以上ないほど満足できる旅でした。
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平泉で楽しんだコースは以下の通りです。
東北道 一関IC ⇒ 厳美渓 (郭公ダンゴ) ⇒ 達谷窟毘沙門堂 ⇒ 毛越寺 ⇒ 中尊寺
厳美渓です。磐井川の水流によって浸食された奇岩が見どころです。
カゴにお金を入れて合図をすると、川の向こう岸にある郭公だんごのお店から、だんごとお茶が運ばれてきます。
だんごは、あん・ごま・みたらしの3種類で、柔らかくてとても美味しかったです。
達谷窟毘沙門堂の二の鳥居です。赤と黄の紅葉が見事でした。
三の鳥居です。奥に毘沙門堂が見えます。
801年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍として蝦夷征伐を命じました。その時に蝦夷がこの地の窟に籠って戦ったそうです。その勝利の後、坂上田村麻呂が京の清水の舞台を模してこの毘沙門堂を建てました。
二の鳥居の所の紅葉です。赤と黄のコントラストが最高でした。
これは毛越寺の大泉ヶ池の周りの紅葉です。
これも毛越寺の紅葉です。
毛越寺の鐘楼です。
大泉ヶ池越しの紅葉がきれいでした。
中尊寺の秘仏「一字金輪仏」が12年ぶりに開扉されていました。今回の開扉は、東日本大震災の供養のためとのことです。私は2000年に一度見ているので、今回はパスしました。
金色堂前の紅葉も見事でした。
世界遺産になったので、金色堂は観光客で一杯でした。
これも金色堂そばの紅葉です。
松島にある瑞巌寺の隣にある円通寺で紅葉のライトアップをみてきました。池に写った紅葉は息を飲む素晴らしさでした。
今回は、仙台郊外にあるベストウエスタンホテルに泊まりました。隣にそびえる仙台大観音は一見の価値がありますよ。ベストウエスタンホテルは、ほとんどの部屋が37平米の広さがあるのでゆったりとできます。
仙台と言えば青葉城にある伊達政宗像です。逆光が良い雰囲気ですね。
青葉城から見える仙台大観音と隣に見えるベストウエスタンホテル(緑の屋根)です。
仙台と言えば「牛タン」ですが、やはり仙台牛も食べたい! ということで奮発してサーロインステーキを食べてきました。とってもジューシーで最高でした。また食べたいです...。(笑)
今回は、天気がいまいちで残念でしたが、素晴らしい紅葉と美味しいお寿司、牛タン、仙台牛とこれ以上ないほど満足できる旅でした。
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義経は平泉で死んだ? 義経はここにいる 井沢元彦著 を読む [岩手 平泉]
2012年です。 明けましておめでとうございます。
昨年中は、多くの方に訪問頂き本当にありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、2012年の最初の紹介は、井沢元彦氏の
「義経はここにいる」です。
井沢氏の小説は昔からよく読んでいましたが、この本は歴史ミステリー小説からのちの「逆説の日本史」のような歴史本に移行する過渡期の作品と言えます。
内容は、義経に関係した殺人事件とそれと並行して中尊寺金色堂の秘密を解明するというストーリーです。殺人事件に関してはネタばれになるので書きませんが、金色堂に関しては昨年、平泉が世界遺産に認定されたこともありますし、以前NHKのTVでも井沢氏が話していたので書いちゃいます。
私は中尊寺の金色堂に関してはいろいろと本を読みましたが、井沢氏の説が一番説得力があると思っています。
義経は、平家を滅ぼした後、兄の頼朝から追われて奥州の藤原秀衡を頼って平泉に戻ります。秀衡は、義経を擁して頼朝に対抗しようとしますが、秀衡の死後に後継者となった泰衡は頼朝の命に従って義経を攻め殺し、その首を頼朝に差し出しました。
しかし、それにもかかわらず頼朝は10万の兵を率いて平泉を攻め滅ぼし、恭順した泰衡も殺されてしまいます。ここに源頼義、義家以来の源氏の悲願であった奥州制覇を頼朝によって成し遂げることができました。
みなさんもご存じのように、井沢史観の根幹には「怨霊に対する鎮魂」という考えがあります。これは無実の罪で殺されたものは怨霊となって祟るため、その鎮魂が必要であるとの考えです。例えば京の藤原氏は菅原道真を死においやったことに対する祟りを恐れて、道真を太政大臣の位に追贈し、天満宮を建てて神として祀ることまで行いました。
この考えからいうと、上に書いた源義経、藤原泰衡ともに頼朝に無実の罪で殺された(と本人は考えている)わけですから、頼朝としてはその祟りを防ぐために鎮魂が必要ですが、平泉にはそのような鎮魂の形跡が見られません。
平家によって伊豆に流された流刑人から征夷大将軍まで登りつめたれ頼朝は、「秀吉以上の幸運」に恵まれていたと考えられます。頼朝はそれは父である源義朝の怨霊の力であると考えていただろうと井沢氏は推測します。それほど怨霊を信じている頼朝が義経、泰衡の鎮魂を行わないはずはないというのが基本的な考えです。
特に義経は、平家滅亡の立役者であり、その働きにもかかわらず頼朝に攻め殺されたのですから、かなりのパワーで祟りそうですが、平泉には義経の鎮魂の施設が見当たらないため義経は平泉では死なずに蝦夷(北海道)に逃げのびた、あるいはさらに大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという「義経北行説」という説が出てきます。
さて、中尊寺金色堂に対する一般的な捉え方を書いてみましょう。
①奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントである。
②金色堂には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のミイラと四代泰衡の首が納められている。
③金色堂を風雪から守るために「覆堂(さやどう)」で覆われている。
④中尊寺には、「一字金輪仏」という日本でここにしかない秘仏があり、三代秀衡の護持仏といわれている。
<秘仏 一字金輪仏>
この4点に関して井沢説を元に考えてみると、、
①金色堂は奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントではない。金色堂には藤原三代の遺体しか納められないため、あたかも藤原氏が三代で滅びることを暗示しているようで「不吉」である。
確かにその通りです。これは②とも関連しますが、当時栄華を誇った清衡、基衡、秀衡達がなぜ狭い金色堂に一緒に納められているのでしょうか?どうして一人一人の霊廟を建てなかったのでしょうか? 後に奥州王となった初代伊達政宗、二代忠宗、三代綱宗たちは、霊廟としてそれぞれ、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を別々に建てています。これは権力者としては当然の発想だと思います。
http://www.zuihoden.com/gaiyo/index.html
しかも鎌倉幕府にとっては罪人である泰衡の首が金色堂にあるのも大きな謎です。
③せっかく堂の外側まで金箔を張った黄金の金色堂をどうして覆堂で覆ってしまうのか?
外から見えなければ黄金で飾る必要がないように思えます。金色堂と同様に有名な京都の金閣寺を覆堂で覆うという発想はあるでしょうか? そう考えると覆堂には別の意味がありそうです。さらに覆堂の「覆」を「さや」と読ませていることも重要です。
④一字金輪仏は、秀衡の護持仏と言われているが、なぜ一字金輪仏を選んだのか不思議である。
天台宗では金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格となるそうです。そのように格の高い仏なので、仏画として書かれることは多いけれど仏像になっているのは中尊寺だけのようです。
井沢説の結論を書きます。
●金色堂は奥州藤原氏の栄華のモニュメントであったが、頼朝が藤原氏を滅ぼしたことにより、頼朝によって藤原氏の鎮魂のための御堂となった。特に泰衡の鎮魂が重要であるため、泰衡の首も一緒に納めた。
●覆堂は、金色堂を風雪から守るためのものではなく、頼朝に対する藤原氏の怨霊が入っている金色堂を封じ込めるためのものである。刀は抜き身のままにしておくとケガをして危険なので「サヤ」に入れておくのと同様に金色堂も藤原氏の怨霊で危険なため、覆堂を「サヤ堂」と呼び怨霊を封じ込めた。
●秘仏である一字金輪仏は像高が76cmと小さいにも関わらず9個の部材を上下に積み重ねた特殊な構造をしており、これは義経(九郎=遮那王)の鎮魂(墓標)のための仏像である。この一字金輪仏を安置していた金輪閣は大日金輪が太陽を象徴しているため、金色堂に隣接して西向きに建てられていた。金色堂は西方浄土を表しているため堂は東向きに建てられていたため、金輪閣の一字金輪仏と金色堂の本尊は向かい合う形で配置されていた。そのため、参拝者は、どちらかの仏像を拝むともう一方に仏像にお尻を向けることになるため非常におかしな配置である。
これは頼朝が藤原氏の怨霊を封じ込めるため金色堂を覆堂で封印し、なおかつ最高の力を持つと言われている一字金輪仏(義経の墓標)を相対させることで見張り役のような形とした。
以上、結論だけを書くと何だか荒唐無稽に見えるかもしれませんが、この本を読むと十分に説得力を持っており納得させられます。金色堂に興味のある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。
秘仏である一字金輪仏は、秘仏ですので通常は公開されていません。何年ごとに開扉すると決まっていないようですが、私は2000年の開扉の時に見ることができました。小さくて背面がなく壁にかけるような形の仏様ですが、「これが日本最高のパワーを持つ仏さまか・・・」とありがたく拝んできました。
下の子が5歳の時だったのですが、間近で見てお寺のお坊さんに梵語で「ボロン」というんだよと教えられたにもかかわらず、まったく覚えていないとのこと。そんなものなのでしょうが、ちょっと寂しいですね。(笑)
この一字金輪仏ですが、震災復興を祈願して今年の7月から御開帳されるそうです。
このチャンスを逃すと、あと10年は見られないと思いますよ!
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今年もよろしくお願いします。
さて、2012年の最初の紹介は、井沢元彦氏の
「義経はここにいる」です。
井沢氏の小説は昔からよく読んでいましたが、この本は歴史ミステリー小説からのちの「逆説の日本史」のような歴史本に移行する過渡期の作品と言えます。
内容は、義経に関係した殺人事件とそれと並行して中尊寺金色堂の秘密を解明するというストーリーです。殺人事件に関してはネタばれになるので書きませんが、金色堂に関しては昨年、平泉が世界遺産に認定されたこともありますし、以前NHKのTVでも井沢氏が話していたので書いちゃいます。
私は中尊寺の金色堂に関してはいろいろと本を読みましたが、井沢氏の説が一番説得力があると思っています。
義経は、平家を滅ぼした後、兄の頼朝から追われて奥州の藤原秀衡を頼って平泉に戻ります。秀衡は、義経を擁して頼朝に対抗しようとしますが、秀衡の死後に後継者となった泰衡は頼朝の命に従って義経を攻め殺し、その首を頼朝に差し出しました。
しかし、それにもかかわらず頼朝は10万の兵を率いて平泉を攻め滅ぼし、恭順した泰衡も殺されてしまいます。ここに源頼義、義家以来の源氏の悲願であった奥州制覇を頼朝によって成し遂げることができました。
みなさんもご存じのように、井沢史観の根幹には「怨霊に対する鎮魂」という考えがあります。これは無実の罪で殺されたものは怨霊となって祟るため、その鎮魂が必要であるとの考えです。例えば京の藤原氏は菅原道真を死においやったことに対する祟りを恐れて、道真を太政大臣の位に追贈し、天満宮を建てて神として祀ることまで行いました。
この考えからいうと、上に書いた源義経、藤原泰衡ともに頼朝に無実の罪で殺された(と本人は考えている)わけですから、頼朝としてはその祟りを防ぐために鎮魂が必要ですが、平泉にはそのような鎮魂の形跡が見られません。
平家によって伊豆に流された流刑人から征夷大将軍まで登りつめたれ頼朝は、「秀吉以上の幸運」に恵まれていたと考えられます。頼朝はそれは父である源義朝の怨霊の力であると考えていただろうと井沢氏は推測します。それほど怨霊を信じている頼朝が義経、泰衡の鎮魂を行わないはずはないというのが基本的な考えです。
特に義経は、平家滅亡の立役者であり、その働きにもかかわらず頼朝に攻め殺されたのですから、かなりのパワーで祟りそうですが、平泉には義経の鎮魂の施設が見当たらないため義経は平泉では死なずに蝦夷(北海道)に逃げのびた、あるいはさらに大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという「義経北行説」という説が出てきます。
さて、中尊寺金色堂に対する一般的な捉え方を書いてみましょう。
①奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントである。
②金色堂には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のミイラと四代泰衡の首が納められている。
③金色堂を風雪から守るために「覆堂(さやどう)」で覆われている。
④中尊寺には、「一字金輪仏」という日本でここにしかない秘仏があり、三代秀衡の護持仏といわれている。
<秘仏 一字金輪仏>
この4点に関して井沢説を元に考えてみると、、
①金色堂は奥州藤原氏三代の栄華のモニュメントではない。金色堂には藤原三代の遺体しか納められないため、あたかも藤原氏が三代で滅びることを暗示しているようで「不吉」である。
確かにその通りです。これは②とも関連しますが、当時栄華を誇った清衡、基衡、秀衡達がなぜ狭い金色堂に一緒に納められているのでしょうか?どうして一人一人の霊廟を建てなかったのでしょうか? 後に奥州王となった初代伊達政宗、二代忠宗、三代綱宗たちは、霊廟としてそれぞれ、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を別々に建てています。これは権力者としては当然の発想だと思います。
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しかも鎌倉幕府にとっては罪人である泰衡の首が金色堂にあるのも大きな謎です。
③せっかく堂の外側まで金箔を張った黄金の金色堂をどうして覆堂で覆ってしまうのか?
外から見えなければ黄金で飾る必要がないように思えます。金色堂と同様に有名な京都の金閣寺を覆堂で覆うという発想はあるでしょうか? そう考えると覆堂には別の意味がありそうです。さらに覆堂の「覆」を「さや」と読ませていることも重要です。
④一字金輪仏は、秀衡の護持仏と言われているが、なぜ一字金輪仏を選んだのか不思議である。
天台宗では金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格となるそうです。そのように格の高い仏なので、仏画として書かれることは多いけれど仏像になっているのは中尊寺だけのようです。
井沢説の結論を書きます。
●金色堂は奥州藤原氏の栄華のモニュメントであったが、頼朝が藤原氏を滅ぼしたことにより、頼朝によって藤原氏の鎮魂のための御堂となった。特に泰衡の鎮魂が重要であるため、泰衡の首も一緒に納めた。
●覆堂は、金色堂を風雪から守るためのものではなく、頼朝に対する藤原氏の怨霊が入っている金色堂を封じ込めるためのものである。刀は抜き身のままにしておくとケガをして危険なので「サヤ」に入れておくのと同様に金色堂も藤原氏の怨霊で危険なため、覆堂を「サヤ堂」と呼び怨霊を封じ込めた。
●秘仏である一字金輪仏は像高が76cmと小さいにも関わらず9個の部材を上下に積み重ねた特殊な構造をしており、これは義経(九郎=遮那王)の鎮魂(墓標)のための仏像である。この一字金輪仏を安置していた金輪閣は大日金輪が太陽を象徴しているため、金色堂に隣接して西向きに建てられていた。金色堂は西方浄土を表しているため堂は東向きに建てられていたため、金輪閣の一字金輪仏と金色堂の本尊は向かい合う形で配置されていた。そのため、参拝者は、どちらかの仏像を拝むともう一方に仏像にお尻を向けることになるため非常におかしな配置である。
これは頼朝が藤原氏の怨霊を封じ込めるため金色堂を覆堂で封印し、なおかつ最高の力を持つと言われている一字金輪仏(義経の墓標)を相対させることで見張り役のような形とした。
以上、結論だけを書くと何だか荒唐無稽に見えるかもしれませんが、この本を読むと十分に説得力を持っており納得させられます。金色堂に興味のある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。
秘仏である一字金輪仏は、秘仏ですので通常は公開されていません。何年ごとに開扉すると決まっていないようですが、私は2000年の開扉の時に見ることができました。小さくて背面がなく壁にかけるような形の仏様ですが、「これが日本最高のパワーを持つ仏さまか・・・」とありがたく拝んできました。
下の子が5歳の時だったのですが、間近で見てお寺のお坊さんに梵語で「ボロン」というんだよと教えられたにもかかわらず、まったく覚えていないとのこと。そんなものなのでしょうが、ちょっと寂しいですね。(笑)
この一字金輪仏ですが、震災復興を祈願して今年の7月から御開帳されるそうです。
このチャンスを逃すと、あと10年は見られないと思いますよ!
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世界遺産に登録された平泉の放射線量を見る (2011年) [岩手 平泉]
2011年6月29日に平泉が世界遺産になりました。
30年以上前から平泉に通っている私としてはうれしい限りなのですが、ちょっと気になっているのが、福島原発による放射線量の問題です。
福島原発による放射線量に関しては、武田邦彦教授の国会での発言をぜひ見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=-HvpsUKhAlA
通常の原発事故で漏れる放射線量は数億ベクレルで、新聞、TV、国家が大騒ぎするのです。しかし、今回福島原発で漏れた放射線量はそれの数十億倍の77京ベクレルですが、新聞、TV、政府は「安全だ!」と言いました。これを信用しろというのがおかしいことは明白です。
京というのは、万、億、兆の次の単位です。
つまり、数字にすると、77京ベクレル=770,000,000,000,000,000ベクレルとなります。
福島原発からの放射線は、海を南下して茨城⇒千葉、東京方面に行ったのですが、もう一つ海を北上して一関付近も汚染したようです。週刊誌で中尊寺の放射線量が高いとの話が出ていましたので、確認してきました。
測定には、RD1503 を使用しました。(最近は安くなりましたね。私が買った時の半分くらいの価格です)
中尊寺の近くの一関の厳美渓です。「空飛ぶ団子」の郭公団子で有名になりました。この辺りで0.17μベクレル/h くらいでした。(約1mの高さ)行ったのは、午後の2時過ぎだったのですが、もう日が傾きかけていました。
中尊寺の金色堂入り口のところです。この辺りでも0.2μシーベルト/h 程度でした。思ったほど高くはなかったので安心しました。その付近も同じような放射線量値でした。
讃衡蔵前の紅葉です。緑といろいろな赤のコントラストがきれいでした。
これも讃衡蔵前の紅葉です。日が陰っていたのが残念です。
金色堂前から讃衡蔵前を撮影したものです。
これも讃衡蔵前です。看板があるので分かりますね。
今回、金色堂周辺しか見ていませんが、0.2~0.3μシーベルト/h でそれほど高くはないものの、通常(0.03~0.04μシーベルト/h)よりはかなり高い値となっています。せっかく何年もかけて世界遺産になることができたのですから、徹底的に除染して安心して平泉に行けるようにして欲しいと思います。(当然、放射能汚染の犯人である東電がやるべきことです)
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福島原発による放射線量に関しては、武田邦彦教授の国会での発言をぜひ見て下さい。
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通常の原発事故で漏れる放射線量は数億ベクレルで、新聞、TV、国家が大騒ぎするのです。しかし、今回福島原発で漏れた放射線量はそれの数十億倍の77京ベクレルですが、新聞、TV、政府は「安全だ!」と言いました。これを信用しろというのがおかしいことは明白です。
京というのは、万、億、兆の次の単位です。
つまり、数字にすると、77京ベクレル=770,000,000,000,000,000ベクレルとなります。
福島原発からの放射線は、海を南下して茨城⇒千葉、東京方面に行ったのですが、もう一つ海を北上して一関付近も汚染したようです。週刊誌で中尊寺の放射線量が高いとの話が出ていましたので、確認してきました。
測定には、RD1503 を使用しました。(最近は安くなりましたね。私が買った時の半分くらいの価格です)
中尊寺の近くの一関の厳美渓です。「空飛ぶ団子」の郭公団子で有名になりました。この辺りで0.17μベクレル/h くらいでした。(約1mの高さ)行ったのは、午後の2時過ぎだったのですが、もう日が傾きかけていました。
中尊寺の金色堂入り口のところです。この辺りでも0.2μシーベルト/h 程度でした。思ったほど高くはなかったので安心しました。その付近も同じような放射線量値でした。
讃衡蔵前の紅葉です。緑といろいろな赤のコントラストがきれいでした。
これも讃衡蔵前の紅葉です。日が陰っていたのが残念です。
金色堂前から讃衡蔵前を撮影したものです。
これも讃衡蔵前です。看板があるので分かりますね。
今回、金色堂周辺しか見ていませんが、0.2~0.3μシーベルト/h でそれほど高くはないものの、通常(0.03~0.04μシーベルト/h)よりはかなり高い値となっています。せっかく何年もかけて世界遺産になることができたのですから、徹底的に除染して安心して平泉に行けるようにして欲しいと思います。(当然、放射能汚染の犯人である東電がやるべきことです)
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タグ:放射線 世界遺産 平泉