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いにしえのさいたま 稲荷山古墳を見る(2015年) [関東]

埼玉県行田市にある埼玉(さきたま)古墳群に行ってきました。
行田市は、川越から約30km北に位置します。車で行くとだいたい1時間程度の距離です。
さきたま古墳群は、5世紀後半から7世紀始めころまでに造られた9基の大型古墳が群集しています。丸墓山古墳は、日本一大きな円墳で105mもあるそうです。また、稲荷山古墳から発掘された鉄剣に刻まれた文字から5世紀の雄略天皇に仕えていたという記載があり、その当時大和朝廷の権力が関東まで及んでいたことが分かる貴重な資料となっています。

古墳群までの道は新緑できれいでした。
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丸墓山古墳です。高さ19mあります。
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丸墓山古墳の上から稲荷山古墳(高さ12m)を見たものです。
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中央付近に映画「のぼうの城」で有名になった忍城(おしじょう)が見えます。(クリックすると拡大します)
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「天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。
北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。 」
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前方後円墳の稲荷山古墳です。
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「全長120mの前方後円墳です。周囲には長方形の掘が中提をはさんで二重に巡り、墳丘のくびれ部と中提には造出しと呼ばれる張出しがあります。古墳が造られた時期は、5世紀後半ごろと考えられ、埼玉古墳群の中では最初に造られた古墳です。
1968年の発掘調査では、後円部から二つの埋葬施設が発見されました。そのうち礫槨はよく残っており、多くの副葬品が出土しました。その一つである鉄剣からは、1978年に115文字の銘文が見出され、他の副葬品とともに1983年国宝に指定されています。」
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後円部から登って行きます。
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後円部から丸墓山古墳を見たものです。
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稲荷山古墳の埋葬施設
「1968年の発掘調査で、後円部の頂上から二つの埋葬施設を発見しました。一つは素堀の竪穴で、粘土を敷いた上に棺を置いた粘土槨、もう一つは、船形に堀った竪穴に川原石を貼り付けて並べた上に棺を置いた礫槨です。
粘土槨は、掘り荒らされていて遺物はわずかでしたが、礫部からは、金錯銘鉄剣をはじめとする豊富な副葬品が出土しました。それらは博物館に展示されています。」
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後円部から前方部へ歩いて行きます。
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左手方向に将軍山古墳(90m)が見えます。
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稲荷山古墳と丸墓山古墳の間は広場のようになっています。
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これは二子山古墳(138m)ですね。
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稲荷山古墳から道路を渡って「埼玉県立さきたま史跡の博物館」に行きました。入口にある古墳群の模型です。今回は、上半分くらいを歩いたことになります。
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副葬品であるヒスイの勾玉です。国宝とのことです。
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これも副葬品です。
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これは埴輪ですね。
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これが115文字の銘文が刻まれた金錯銘鉄剣です。
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この埴輪は迫力がありました。
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今回は、見てきませんでしたが、将軍山古墳ではこのように実際に横穴式石室を中に入って見られるそうです。
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天気が良く、新緑が眩しかったです。
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大阪にあるな巨大古墳群に較べるとこじんまりとした古墳ですが、歩いて回るにはちょうど良い大きさだと思いました。興味があれば楽しめる古墳だと思います。

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